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企画展

篠原誠司写真展 ひかりのおと ~gozoを追う旅 2016-18

2019.10.2(Wed)-11.4(Mon)

11:00~19:00(最終日は17:00まで)
月・火曜日休廊(月曜日が祝日の場合は営業し、翌日休)

■トークイべント■
吉増剛造×篠原誠司 「ヒカリノオト」(司会:菊井崇史)
2019年10月12日(土)17:00~
参加費:前売り 1,000円 当日 1,200円 

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※画像クリックでPDFが開きます

詩の軌跡を旅していた。「ひかりのおと」に展示される写真、その撮影の地の多くにわたしは同行することができた。展覧会「涯(ハ)テノ詩聲(ウタゴエ) 詩人 吉増剛造展」にまつわる旅は、おおよそ二年に渡り、吉増剛造がかつて詩篇に綴った、あるいは写真、gozoCinéにうつしてきた地を篠原氏とともに辿ったのだ。わたしたちはおもむいたさまざまな地で、詩集の頁をその場の光景にひらき、その光景に詩行をかさねた。そうすることで確かめられる詩の澪への膚ざわりがあった。吉増氏の詩の営為を道標とした旅には、めくるめく邂逅がもたらされた。人との、光景との。それらひとつひとつのおとづれがかけがえなく閃き、旅のあゆみを照らした。そんな旅の渦中、わたしたちには必ずキャメラがともにあった。そして、わたしの隣にはいつも写真家としての篠原誠司がいた。今これらの途上をふりかえるならば、それはわたしにとって、詩人吉増剛造を巡る旅であり、同時に、篠原誠司という写真家の息づかいを傍で覚える経験だったのだ、そう言うことができる。
 篠原誠司は、全き叙景の写真家である。やきついている。この写真展を機に、再び旅の日々での写真を瞳にして、キャメラをかまえる篠原誠司のすがたが鮮明に蘇ってくる。そのかまえに惹かれていたからだ。道ゆき、篠原氏はふっとあゆみをとめ、キャメラを掌に片方の瞼をおろし息をこらす。見極める。耳を澄ます。息の沈黙のなか、地の光や響きが集中し渦まく。見つめる。瞬間が凪ぎ、しずまりから、にわかに光が音が響きたつ。露光する。僅かな時間だっただろう、けれど、幾度となく篠原誠司がキャメラをかまえる傍で、目のまえの光景の見え方、聴こえ方がかわる経験が確かにあったのだ。光に晒された無言のキャメラが聴く音。
それは篠原氏の写真を見るうえでの手がかりでもある。樹膚、水面、岩膚、枯葉等が、おとづれた地の光の奥ゆきに膚を纏わせるように写真にうつされ、その膚にたつこまやかな音の粒を見せる。そう徹する。吉増剛造の詩に導かれた旅路に、「ひかりのおと」という文言は、篠原誠司の写真における叙景の詩学の一端としても刻まれている。写真の旅はつづく。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」。ならば、「ひかりのおと」を籠めるキャメラの刹那のまなざしもまた無窮の旅人なのだ。

菊井崇史(詩人)



篠原誠司 Seiji Shinohara
1965 年栃木県生まれ。1988年多摩美術大学芸術学科卒業。在学中、吉増剛造に教えを受ける。ギャラリー勤務の後1992~2005年、東京にてギャラリーを自営。自身のギャラリーのほか、各地のギャラリーや美術館で現代美術、写真など数多くの展覧会を企画する。1990年より写真家としての活動を始める。ギャラリーでの個展・グループ展のほか、近年では2009年に「エコ&アート・近くから遠くへ」(群馬県立館林美術館)、2012年に「会津・漆の芸術祭2012」(福島県立博物館)等に出品。2009年より足利市立美術館学芸員。「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム展」(2013年)、「涯テノ詩聲 詩人 吉増剛造展」(2017-18年)などを企画。

吉増剛造 Gozo Yoshimasu
1939年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒業。在学中から詩作を始め、1964年の第一詩集『出発』以来、先鋭的な現代詩人として国内外で活躍。同時に詩の朗読パフォーマンスを行い、80年代からは銅板に言葉を刻んだオブジェや写真作品を発表。2016年には個展「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」を東京国立近代美術館で開催。2017~18年には、個展「涯テノ詩聲 詩人 吉増剛造展」を足利市立美術館、沖縄県立博物館・美術館、渋谷区立松濤美術館で開催。2018~19年には、「福島の吉増剛造 会津・猪苗代・南相馬」と題して、福島県立博物館、はじまりの美術館、埴谷・島尾記念文学資料館の3館連携で吉増剛造展を開催。