artspace and cafe

下妻 喜枝 展

2024.9.11(Wed)-9.23(Mon)

11:00~18:00(最終日は16:00 まで)
月・火曜休廊(月・火が祭日の場合は営業し、翌日休)
軽食とソフトドリンクもお楽しみいただけます。

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 ゴッホはなぜ耳を切り落したのか。ゴッホにとって自然は絶えず咆哮していた。し かし、人々はそれを静寂と感じている。ゴッホはこの途轍もない響きを他者と共有す べく心を砕く。そのために絵を描いた。光輝く色彩で画面は彩られた。だが、響きは 闇から到来する。「闇」を描かない限り響きは表現できない。見えるものは「闇」の一 部であり、「闇」は光の向こうに渦巻いている。彼は見えるものの背後を描く。闇の響 きを色彩と形態で表現する困難のすえ、ゴッホは耳を切り、明け渡す。それは他者と の「耳」の共有であり、何ものかへの供物であり、内的聴覚のさらなる獲得でもあった。
 大森博之の作品を見て、上記の事を思い起こした。大森はものが出現する「背後」の「手 前」を表現しようとしている。ものが出現を果たすためには膨大な「背後」が必要である。 その果てに可視可触の「もの」が出現する。大森は「もの」が可視可触となる直前の 状態に思いをはせる。つまり「背後の手前」の段階である。「もの」として出現する水 際の状態であり、これを把握できれば「背後」に一歩近づいたことになる。この中間 領域をいかに感得するか。ここではたらくのが聴覚である。なぜならば、かたちのな いものはまず響きとして現れるからだ。「背後の手前」から発せられる響きを聴くのは 内的聴覚である。これはゴッホが持っていた聴覚である。今回出品された耳をモチー フとした作品は大森の内的聴覚の自覚であり、何ものかへの供物である。

江尻 潔( 足利市立美術館次長・学芸員)



大森 博之 Hiroyuki Omori
1954 栃木県生まれ
1979 筑波大学大学院修士課程芸術研究科彫塑専攻修了
【個展】
1980 楡の木画廊(東京)('81,'82)、
1983 駒井画廊(東京)、ルナミ画廊(東京)('84,'85,'86,'87,'89)、
1984 ギャラリートランスフォーム(東京)、
1989 コバヤシ画廊(東京)、
1990 なびす画廊(東京)('91,'93,'98,'00,'03,'06,'09,'11,'14,'16)、
1991 ギャラリーMIU(神奈川)、
1994 ギャラリー手(東京)('95,'96)、
1997 SPACE・U(館林/群馬)・JAZZ オーネット(足利/栃木)、
2004 鶴見画廊(神奈川)
2016 +Y ギャラリー(大阪)('23)。