artspace and cafe

ペーパーアート作家
中島康夫写真展
フェーズ:位相→相「足利・武蔵野」
2022.4.27(Wed)-2022.5.8(Sun)

11:00~18:00(最終日は16:00 まで)
5月2日(月)・5月6日(金)休廊

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私は、武蔵野の一隅に60年以上暮らしている。元々三鷹に実家があり、国分寺、武蔵境と移り住むが、東京の真ん中の半径 5 ㎞程の圏内に収まる。 足利はといえば、かつての私にとって縁もゆかりもない「遠いところ」であったが、二十数年前に初めて足を踏み入れて以来、仕事の関係でたびた び訪れるようになった。近頃では、仕事以外に何かと口実を作って、足繁く通っている。何故かこの土地に惹かれるのだ。
律令制による武蔵国は、当初東山道に属していた。そのため武蔵国府(現・府中市)と下野国足利との間は、東山道武蔵路という街道があったことを、 最近知った。古の人々にとって、一本の道で繋がっていた足利と武蔵野は、今よりずっと「近いところ」だったように思われる。この二つの土地は、 同じ「相」の上にあり、同じ気脈のようなものによって通じているのかもしれない。


「フェーズ」という言葉から、交流電気の波形を、ふと思い出した。交流電気は、X 軸(時間)/ Y 軸(電圧)のグラフ上に正弦波として現れる。 見えない電気を、イメージに置き換えて見せられると、納得する。それなら同様に、他の事物を別の座標系に置き換えてみると、どうなるだろうか? 例えば、X 軸(時間)/ Y 軸(存在に関する適当な定義)/ Z 軸(長さ)とする座標の上では、あらゆる物も現象も表せると仮定し、 その空間に現れた形(イメージ)を、〈相〉と呼ぶことにする。〈相〉は、事物によってそれぞれ違う形として現れるから、 そこから本質的なことを取り出せるはずだ。
この仮想の空間において写真を考えてみると、写っている像は、ある時間における〈相〉の断面、痕跡となる。それをここでは、〈位相〉と呼ぶことにする。 〈位相〉は、静止した点や線や面の集合ではない。そこには時間が閉じ込められている。もし〈位相〉の時間を取り戻せば、 〈相〉のイメージを復元できるはずだ。
おそらく、それを可能にする方法としては、「観る」こと以外にない。そうだとすれば、「観る」こともまた「創造」である。と私は言いたい。

中島 康夫