石井 壬子夫 展
─自己像と日記─
2024.5.2(Thu)-5.6(Mon)
11:00~18:00(最終日は16:00 まで)
月・火曜日休廊
軽食とソフトドリンクもお楽しみいただけます。
※画像クリックでPDFが開きます
父、石井壬子夫はドローイング、水彩、油彩など1万枚を超える作品を描いた。
1990年には前橋の煥乎堂で個展を開き画集を刊行したが、それらを見ることなく亡くなった。
亡くなる3ヶ月ほど前、足利の日赤病院で書いた画集のあとがき文は私が聞き書きをした。
話の最後に父は「もう明日は描けないという恐怖心が描かせている」と語った。
その一文をあとがきに加えようと思ったが「絶対に駄目だ」と言うので諦めた。
父は1973 年頃より1日1枚日記を書くように自画像を描いた。
その自画像は78歳で亡くなるまでに6000枚余りになり、後にそれを「自己像」と呼んだ。
どんな時でも鏡を見て描く。
病院で意識がはっきりしない時でも少し回復すると描く。
右腕に点滴をしている時は左手で描く。
その日描けない時には深夜12時過ぎに描くということもあった。
禅をたしなんだ父は、スケッチブックの表紙に「1 日描かざれば、1 日食はず」と記していた、そんな父だった。
今まで自己像だけの展覧会や自己像中心の展覧会は、生前の1977年足利市民会館での自己像展、
亡くなってから大川美術館での石井壬子夫展や自己像展があり、また有鄰館での13回忌展、
広瀬川美術館での父と子(克)の自画像展、artspace & café での石井壬子夫ドローイング展、
昨年の久叡館での石井壬子夫展などがあった。
今回の展覧会は、自己像と日記の言葉を一緒に展示するという初めての試みになる。
自己像ではその顔に多くの線が刻み込まれるように描かれており、
日記には制作メモや展覧会を観ての感想などがこと細かく書かれている。
石井壬子夫というひとりの人間が、戦前戦後を通して、何を考えどのように生きてきたのか。
亡くなる日まで自分を見つめ続けて、描くこと、そして書くことが生きることだった孤独な父がそこに居る。
石井克(画家)
石井 壬子夫 Mineo Ishii
1912 年 香川県高松市に生まれる
1932 年 東京美術学校図画師範科入学
1935 年 春陽会展に入選。茨城県立水戸中学校に教諭として勤務(~ʼ44)
1944 年 群馬県立桐生高等女学校に転任
以降、葉鹿町立葉鹿中学校(足利)、栃木県立足利高等学校に転勤
1970 年 教諭を退職、武蔵野美術学園研究科に入学
1971 年 第7回主体美術展に入選。以降8~15、18回展に入選(~ʼ82)
1973 年 この頃より毎日I枚自画像を描くようになる。(後に“自己像”と呼ぶ)
1975 年 シマ画廊(桐生市)、足利市民会館画廊にて個展
この頃から広島をテーマとしたシリーズに取り組む
1981 年 足利市民会館画廊にて個展
1990 年 煥乎堂(前橋市)にて個展。石井壬子夫画集刊行。6月15日肺炎にて没、享年78歳
1992 年 大川美術館にて“石井壬子夫展”
1993 年 大川美術館にて“石井壬子夫『自己像』展”
2012 年 大川美術館にて“作家特集展示 石井壬子夫~生誕100年を迎えて~”
2016 年 広瀬川美術館にて“石井壬子夫・石井克─父と子の自画像展”
2019 年 久叡館コレクション展、石井壬子夫展(石井画廊)
2022 年 “石井壬子夫のドローイング展”(artspace & café)