artspace and cafe

宇佐美圭司展 ドゥローイングの宇宙

2021.6.30(Wed)-2021.8.1(Sun)

11:00~18:00(最終日は16:00 まで)
月・火曜休廊(月・火が祝日の場合は営業し、翌日休)
軽食とソフトドリンクもお楽しみいただけます。

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ドローイングと宇佐美圭司
 「健全な精神の健全な肉体に宿れかし」
 皮肉としても用いられる言葉だが、思い起こせば宇佐美圭司さんはまさに、健全な精神が健全な肉体に宿った人であった。
 理論派であり著述も多い宇佐美さんだが、その精神の軽やかさは、中学校時代には器械 体操の選手であったという身のこなしの軽やかさと一体のものだった。おそらくその身体の軽やかさは、頭でっかちの思考に凝り固まってしまうことから、宇佐美さんを救ったものでもあっただろう。
 それが如実に見て取れるのが、手の動きがそのまま形となるドローイングの作品に他ならない。
 マスキング技法を用いた1960 年代から80 年代の油彩画において、その身体性は論理性の影に隠れ、むしろ抑圧されたとも思える時期が長い。1970 年代末からのドローイング連作が、80 年代中期以降の作品のざらざらした感触を準備し、2000 年以降の作品では描線のあり方において、ドローイングと油彩の大作で変わるところがなくなっていく。
 18 歳、画家への道を探り始めた時期の作品と、晩年の作品が並べられる今回の展示では、軽やかな身体の動きを、しかし画面に素直に反映させることに躊躇い、一種たどたどしく引かれる線の中に、探求するものとしての芸術に挑み続けた姿勢が一貫することを見て取れるのではないだろうか。

奥村泰彦(和歌山県立近代美術館 主幹)



 氏とのお付き合いは短かった。亡くなる前のわずか3年ほどだ。しかしとても濃密な3 年間だった。大岡信ことば館での個展のため、福井県越前町のアトリエに通い詰めた。ゲ ストルームに泊めていただき氏と爽子夫人との3人の時間を何度も過ごした。ガンによる 余命宣告を受けていた氏の、カンバスに向かう姿を繰り返しビデオカメラに収めた(※)。
 杉の木越に臨む日本海を宇佐美さん、爽子夫人と眺めながら、何時間もとりとめの無い 話をした。雲間から海面に落ちる陽の光がチラチラと輝いていた。
※この映像「宇佐美圭司のアトリエにて」が会場でご覧いただけます。

岩本圭司(造形家・artspace & café 代表)



宇佐美圭司 Keiji Usami
1940 年大阪生まれ。1963 年初めての個展を南画廊で開催。1965 年「新しい日本の絵画と彫刻展」に出品(ニューヨーク近代美術館)。1967 年第5 回パリ青年ビエンナーレ(パ リ市立近代美術館)に日本代表として出品。1969 年「レーザー・ビーム・ジョイント」展をジューイッシュ美術館(ニューヨーク)で開催。1970 年「Expo’ 70」鉄鋼館、スペースシアター設計のための美術監督となる。1972 年ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館で個展を開催。1989 年第22 回日本芸術大賞受賞。1992 年「宇佐美圭司回顧展 世界の構成を語り直そう」を開催(セゾン美術館、大原美術館、ライカ本社ビル)。2001 年「宇佐美圭司・絵画宇宙」展を開催(福井県立美術館、和歌山県立近代美術館、三鷹市美術ギャラリー)。2002 年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2012 年「宇佐美圭司 制動・大洪水」 展を開催(大岡信ことば館)。2012 年10 月逝去。
多摩美術大学芸術学科助教授、武蔵野美術大学油絵科教授、京都市立芸術大学教授など歴任。『絵画論』(筑摩書房)他、著作多数。