2022.7.6(Wed)-2022.7.18(Mon)
11:00~18:00(最終日は16:00 まで)
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私は1948年足利市に生まれました。帝京大学法学部を卒業したと思ったら、フラメンコギタリストが出来上がってしまいました。
28 歳の時スペインに武者修行。楽しく過ごして帰国後、突然左の薬指が動かなくなる…ジストニアです。
リハビリ中、妻に画材をもらい絵の面白さにハマり、友達に勧められるままに1980年、ニューヨークに行ったのです。
直ぐに貯金は底をつき、妻がベビーシッターの仕事を探して来てくれました。その子供が河原温(世界的なコンセプチュアルアーティスト)の子供。
そのうち温さんの仕事の手伝いも頼まれるようになりました。温さんはいろいろな事を教えてくれました。
世界のアートの流れ、ニューヨークでの作家デビューの仕方、英語、お金、永住権のうち、2つがあれば可能性があること。
私は次に来るウエーブを読みながら100号くらいの絵を50 枚ほど描きました。
温さんが家に来て「この絵は俺の趣味では無いけど、ニューヨークでやっていけるよ。」と言ってくれました。
ちょうどその頃イーストビレッジで新しいアートの動きが始まり、そこに小さな画廊が沢山できて、私は個展、グループ展を毎月数カ所でやってました。
永住権も取れ『アートインアメリカ』『フラッシュアート』などの美術雑誌にも小さく載り始めました。
子供もでき楽しく生活していたのですが、治安が非常に悪いニューヨーク、結局家族の安全の為リッチアンドフェイマスの夢を捨て1986年に帰国。
ヒルサイドギャラリー(現在のアートフロントギャラリー)で北川フラム氏の企画で個展をやってもらいました。とてもすばらしい展覧会でした。
でも結局その後会社勤めをする。温さんの言葉「三田さんね、アートは続けることだよ」。それを胸に描く事は続けていましたが、その後画廊とは疎遠に…。
65 歳をすぎ家族からも解放されて足利に着地。現在、山の麓に古民家を手に入れ彫刻や絵を楽しみながら、野菜を作ったり 日本蜜蜂を飼ったりしています。
今回はサラリーマンをやっていた頃の「電車の中を描いた絵」と、山の麓の自然を形にした「森のオアシス」を飾ります。
三田喜章(美術家)